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淀屋橋は淀屋が架けたから淀屋橋って言うんです。 [大阪]

日頃全く運動も出来ずこれじゃ~あかんとは思ってはいるものの、最近のこの寒さ
にも勝てず3月の休みを取るため仕事で籠もっている毎日です。隔週の定期通院、
このチャンスは逃すべきでないと思い久々におもいっきり歩いてきました。

通院している病院は天神橋筋六丁目にあります。(地図右上)そこから南下、天神橋筋商店街
を通り、扇町、南森町を通過。大阪天満宮を通り北浜を目指し西へ。土佐堀通りを西へ西へ。
淀屋橋、肥後橋を越え大阪市立科学館へ。中に入ろうと思いましたが、どこかの遠足の小学生
で一杯だったので断念。肥後橋まで戻り四ツ橋筋を南下、京町堀を過ぎたところにある
財団法人大阪科学技術センターにある大阪科学技術館に入りました。科学館と科学技術館、
同じようなものを作るお役所仕事の象徴のようなものです。どちらも何回も行きブログでも紹介
させていただいたと思いますので今回詳細は省略。隣の靱(うつぼ)公園で一休み。
ここまで約2時間のウォーキングです。その後本町まで少し歩き帰ってきました。

さて途中通った淀屋橋。近辺は大阪のオフィス街です。日本生命をはじめ大手企業の大阪本社
が集結しています。もちろんこの淀屋橋という地名は橋の名からきています。
遡る事江戸時代初期、初代淀屋(岡本三郎右衛門常安)は材木商として北浜に店を構え、
1609年から1614年まで中之島を開拓しました。
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淀屋の碑

その後この淀屋は5代続きます。特に二代目淀屋言當(よどやげんとう)の時に、青物市、
魚の干物を扱う雑喉場(ざこば)市、米価の安定のため米市を設立し、大坂三大市場と呼ばれた
青物市、雑喉場市、米市を一手に握り大商人になりました。中でも米市は今まで現物取引だった
商いを手形の受け渡しによる売買という形を形成し、現在世界で行われている先物取引の原点
とされています。その時米取引のために架けられた橋が淀屋橋となっています。その後淀屋は、
三代 淀屋箇斎(かさい)、四代 淀屋重當(しげまさ)と盛栄を極め莫大な資産を築きました。
しかし五代 淀屋廣當(ひろまさ)が22歳の時(1705年)、幕府の命により闕所(けっしょ)処分と
なりました。財産没収、家名断絶です。ここで淀屋辰五郎の屋号が途絶えました。しかしこれは
決して淀屋が不始末を起こしたわけではありません。その財力ゆえ諸国大名に貸付けをして
いました。その影響力を恐れた幕府が「「町人の分限を超え、贅沢な生活が目に余る」という表向
きの理由で闕所させたということですが、本当の理由はその貸付によるものだと言われています。
闕所時に没収された財産は、金12万両、銀12万5000貫(小判に換算して約214万両)、
北浜の家屋1万坪と土地2万坪、その他材木、船舶、多数の美術工芸品などという記録が残って
います。また諸大名へ貸し付けていた金額は銀1億貫(膨大に膨れ上がった利子によるもので
あるが、現代の金額に換算しておよそ100兆円)にも上ったと言われています。
大阪首都消滅説原因がここにも見受けられるんです。
まだ知られざる大阪、またいろいろご紹介したいと思います。
これにて御免[exclamation][ダッシュ(走り出すさま)]


P.S.    好評[exclamation&question]ジュンちゃんの顔ハメ看板コーナー。[決定]
PB050095.JPG

わしが家康などに心を許さねば大坂が天下だったものを・・・!


この度私が東京へ行くにあたりオフ会開催の告知をさせていただいたところ、
早々に幹事を引き受けてくださったKen_jpさんが掲示板を作成していただいております。
場所、時間等は追々決まり次第連絡いたしますが、何分全くの東京音痴の田舎もんの私故
すべてKen_jpさんにお任せしておりますが、大体の時間と場所は私のスケジュールにより
清澄白川を18:00に出て、東京駅八重洲口に23:30までに着ける場所になります。
予約などの都合もございますので参加の旨を掲示板にてお伝えいただければ幸いです。
皆さんのご参加お待ちしております。

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